麗しのアルハンブラ宮殿 2 (カルロス5世宮殿)
マドリッド(3泊) - カルモナのパラドール(1泊) - マルベーヤ(コスタ・デル・ソル)(2泊) - グラナダのパラドール(1泊) - バルセロナ(3泊)
(七日目の行程) マルベーヤ → ミハス → グラナダ
フェネラリーフェ離宮から戻り、次はカルロス5世宮殿へ。
イスラムちっくな建物の中で異彩を放っているが、腹立たしい建物である。
というのも、アルハンブラ宮殿を一部侵食して建てられている! ひ、ひどい・・・。
その部分は、全く調和というものを考えて建てられたとはいいがたく、イスラム教にキリスト教の威厳を見せ付けたと言ったところだろうか。
とはいっても、今まで紹介してきたコルドバのメスキータもセビリアのカテドラルも、もともと西ゴート王国時代のキリスト教教会の跡地にイスラム教徒がそれらを壊してモスクを建て、レコンキスタによって国土奪回をしたキリスト教徒が、再びそれらを壊したり、一部残して利用したりしたわけで、どっちもどっちなわけだが。
ちなみにアルハンブラ宮殿は14世紀頃に建てられたが、カルロス5世宮殿は19世紀とのこと。
上記の四角い建物に入ると、 右の写真のような円形の中庭に入る。 天井は抜けている。
ここではかつて闘牛も行われたとか。
残念ながらこの建物は未完成だそうだ。
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コメント
ある文化を征服した民族は、被征服民族が築いた宗教建築やシンボル的な建造物を破壊して、その上に、これ見よがしに、自分たちの支配力を示すものを建てる行為は、どの時代にもあったことですね。
スペイン人は中南米を征服すると、インカ、アステカの神殿を破壊し、その石材を利用して、跡地に次々と教会を建てていきました。そうした意味では、現在残ったアルハンブラの部分が、後の修復再現の手が加えられているにせよ、現在ある形で残っている方が、どちらかといえば、不思議なくらいです。
カルロス5世の息子フェリペ2世がマドリッドを都と定めて、グラナダは近世の歴史の舞台から遠ざかり、忘れられていったことが、アルハンブラ宮殿のためには幸いしたように思えます。
カルロス5世宮殿の功罪を評する立場は様々ですが、メスキータと同様、この建物があったゆえに周囲の残存建築も後世まで残り、完全な廃墟とならずに済んだということも言えるわけで、最近では再評価する動きもあるようです。
投稿: ルイス | 2008年11月20日 (木) 06時54分
確かに、もっと視野を広げてみれば中南米でスペインはひどいことをやっていたのですね!!!なんともったいない。でも日本もいろんな国のものを破壊したんだろうなぁ・・・・。
アルハンブラ宮殿がああして残ったのは魔力のおかげなんでしょうか・・・と『アルハンブラ物語』にすっかり洗脳されている私です(笑)。もう一度、本の知識を持っていつかアルハンブラを訪れてみたいです。
カルロス5世のおかげで建物が残ったんですね。ちょっと見直しました。
投稿: 香 | 2008年11月21日 (金) 00時11分