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コルドバにて (メスキータ、ユダヤ人街、ローマ橋)

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(四日目の行程) マドリッド → コルドバ(燈火のキリスト像 → メスキータ → ユダヤ人街 → ローマ橋) → カルモナ

スペインを旅するとき、必要になってくる知識がある。 それはどこの国に行っても通じることだが、その国の歴史を知れば観光はもっと面白くなるという意味での知識である。 

詳しく知るには本なりガイドブックなりを読んでもらいたいのだが、必要最低限の情報を私はここに簡単にまとめる。

紀元前からローマ帝国の一部となるが、6世紀始めに西ゴート王国が建国され、キリスト教が信仰されていた。  8世紀になるとイスラム教徒によって支配され、キリスト教は一旦は追いやられたものの、再び土地を取り戻しにかかる。 そして15世紀後半まで約700年かかって、キリスト教徒が土地を奪回した(この行為は”レコンキスタ”と呼ばれている)。 また、ユダヤ教が15世紀まで認められていたのだが、イスラム教徒ともに15世紀(1492年)に一斉に国外追放を受ける。 

私がここで伝えたいのは、スペインにはローマ帝国時代のもの、西ゴート王国のもの、イスラム文化のもの、キリスト文化のもの、ユダヤ文化のものが、混在・融合しているということ。 同じ町にメスキータ(=モスク)、カテドラル(キリスト教会)、シナゴーグ(ユダヤ教会)が隣接していたりする。 それがスペインのひとつの魅力なのだ。  

先日の『古都 トレド』も大いにそれらの影響を大きく受けて、その影響を色濃く残している町のひとつだ。 コルドバにおいては、私たちの周ったルート(燈火のキリスト像→メスキータ→ユダヤ人街→ローマ橋)をこの事実に照らしてみると大変面白いのではないだろうか。 

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<燈火(とうか)のキリスト像>

Spain280 二つの修道院に隣接する広場にあるキリスト像。 曲線を描くカンテラ装飾が個性的で綺麗だ。 カンテラはかつては本当に火を入れていたそうだが今では電気に変わってしまった。 キリストの足元の赤い物はろうそくで、夜になると火がつけられ、それが毎晩途切れることはないそうだ。 修道女達の日課。 夜に見たら幻想的でとても綺麗なことだろう。

この日はちょうど日曜日で、歩道を一列にミサに向かう人たちがいた。 なんとなく絵になる光景でシャッターを押した。Spain279

余談だがこの日は大変天気が変わりやすく、ここを訪れたときは写真のようなドンヨリ天気だった。 この後に食事をしてから、前回の記事のパティオに行くとちょうど運のいいことに晴れた。 おかげで白い壁と綺麗な庭が映える、美しい写真を撮ることができたのだ。 この後、一時激しい雨に見舞われたりした。

<メスキータ>

Spain284 不思議な建物である。 ななななんと、イスラム教の寺院の中に、キリスト教寺院がある!!! 

西ゴート王国のキリスト教会であったものをイスラム教徒が取り壊してメスキータを建立。 しかしレコンキスタにより戻ってきたキリスト教徒はメスキータを壊さず、中央部分にカテドラルを建設した。

大きく四つの部分に分かれる。 イスラム統治時代、785年にラフマーン一世によって建てられた部分、その後の歴代の王によって848年、961年、987年と3回、増築に増築を重ねられた。 建物は壁で区切られたりせず、大きく一つになるように増築されていってるので、微妙に違うつくりや床の継ぎ目でその増築部分を知ることが出来る。

面白いエピソードとしては、上の写真のように、赤と白の模様のアーチがあるが、最後の増築部分には王の道楽の末の資金難により安っぽい造りになっているそうだ。 オリジナルは赤いレンガと白いレンガの二種類を組み合わせて作られているものなのだが、最後の時代はなんと赤と白に塗り分けているだけとか!!

Spain285 また、このメスキータのミヒラブ(=ミフラーブ、イスラムの祭壇→)は、増築されるたびに場所を移し、現在の場所に。 ミヒラブは本来メッカの方向を向いているものだが、コルドバのメスキータのそれは少し方向がずれているそうだ。 私たちの日本人ガイドさんは、メッカの方向がわかる”メッカ磁石”なるものを持っている(そんなものがあるとは!)!!!

ここのミヒラブがメッカの方向に向いていない原因として、3つの説が存在するそうだ。 以下、現地ガイドさんの文章を抜粋させていただく。
1、当時8世紀には、すべての回教寺院はメッカの方向に作るようにという規則はまだ確立されておらず、最初に西ゴート寺院のバシリカ聖堂跡をそのまま利用したので、その敷地面に従ってズレてしまったこと。
2、イスラム王朝とは言っても、後ウマイヤ朝の創始者であるアブデラフマン1世と少数の政府高官しかアラブ人はおらず、民衆の大部分はモロッコからの移民ということで、彼らの祖国の方向である南に向かって祈るのが自然な習慣であったこと。
3、初代王の出身地であるダマスカスからメッカを見ると、スペインからメッカを見た方向と近い角度にあること。
ちなみに手元のメッカ磁石の方位表で参照すると、シリアからは235度、スペインからは260度。アブデラフマン1世がダマスカスの大モスクにおいて常々慣れ親しんでいた方向に礼拝を行なったということ。

ガイドブックには載っていない事だが、なかなか興味深いので参考させていただいた。 

Spain287 最後に。 写真を残してこなかったのが残念だが、このメスキータの中央部に立派なキリスト像を置いたカテドラル部分があり、今でもミサが行われているらしい。 ミサのある日は見学不可なのだそうだ。 

16世紀、イスラム様式の美しいメスキータの一部分を取り壊してキリスト教会を作ったことについて、完成後にそれを見に来た当時のローマ皇帝カルロス五世の嘆きの言葉がいい。「お前達はどこにもないものを壊して、どこにでもあるものを作った」 

こうして、コルドバのメスキータは世界にどこにもない建築物になった。 

<ユダヤ人街>

Spain288 白い壁に、美しい花々の植木鉢。 ユダヤ人街の中でも、とりわけ美しいのがこの”花の小路”と呼ばれる所だ。 この狭い路地は坂になっており下から見上げても綺麗なのだが、それを通り抜けたところから振り返ってみる風景が最高。 路地の間から先ほどのメスキータの塔がちょうど見えるのだ。ここの風景がガイドブックによく使われる。

1492年にユダヤ教が追放されたスペインでは、この街の一つと、トレドに2箇所あるシナゴーグ(ユダヤ教会)の三つを残すのみとか。 

<ローマ橋>

Spain291 ローマのアウグストゥス帝の時代のもの。 地震や戦争などにより破壊・修復が繰り返されているので、オリジナルはもっと違うのかもしれない。 

ガイドさんがいうには最近も修復がなされ、深みのあったのががらりと雰囲気が変わってしまったそうだ。

そういわれてみれば、ガイドブックの写真と色味が全く違う。

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