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首都はアンカラ

アンカラ → カッパドキア(2泊) → (コンヤ) → パムッカレ → イズミール → チャナッカレ → (トロイ) → イスタンブール(2泊)

地理に詳しい人でない限り、トルコの首都は”イスタンブール”だと思っている人が多いと思う。

でも、首都はアンカラなのである。 

これからちょっと、首都がアンカラとなった理由についてまじめな話を書くので、興味ない方は飛ばしてしまっても構わない。 でも、下段のムスタファ・ケマル(アタチュルク)については、出来れば読んで欲しい。

イスタンブールは、昔からヨーロッパとアジアを結ぶ架け橋の町として、交易の街として、栄えていたらしい。

第一次世界大戦に敗れたドイツ・オーストリア側についていたため、トルコは負け国として、領土をイギリス、フランス、イタリア、ギリシャなどに分割されてしまう。

それをムスタファ・ケマル、後にアタチュルク("トルコの父"の意) と呼ばれる将軍が戦争の上、領土を奪回し、新しくトルコ共和国を築いた。 その際、華やかなる栄華を誇るイスタンブールより、アンカラを首都に選んだのだそうだ。 アンカラも、トルコの4000年の歴史の中、何度か首都になったことのある町ではあったが、その時の人口は3万人。 

未熟な町に首都を移すことで、国の再生を一から試みたのだ。

アンカラは、1923年に首都が移された時の人口3万人から、現在35万人に膨れ上がった。 (次回の記事に載せる写真がそれを物語っている)

本当は、遺跡もたくさんあるそうなのだが、現在の町の地中に埋もれているらしい。

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ムスタファ・ケマルがアタチュルク"トルコの父"と呼ばれるようになったわけについて。

上述したように、ムスタファ・ケマル将軍は、連合軍からトルコの領土を奪い返した。そして、初代大統領になると、斬新な政策を次々と打ち出した!

イスラム教にもかかわらず、政教分離。(今でも、トルコ人の98%がイスラム教徒)

一夫多妻制の廃止。男女の教育の義務化 (イスラム教だったら男性だけ)。

太陽暦の採用。・・・うーん、画期的。

何よりも画期的なのは、アラビア文字をローマ字化したこと!

通常のローマ字のなかで、ない文字もあり、またトルコ特有のローマ字もある。

トルコは現在、EUに加盟したがっている。 あと、10年は掛かるといわれているらしいが、もし今でも、イスラム教が深く信仰され、アラビア文字を使用してたとしたら、EU加盟は絶対ありえない。 逆を言えば、色濃いイスラム社会だったらEU加盟をしようだなんて、はなから思わなかったかもしれないが。

そんなわけで、トルコという国はムスタファ・ケマルがいなかったら今頃なかったかもしれないし、トルコの近代化は彼の強硬政策がなかったらありえなかったのだ。

次回は、そんな彼のお墓を紹介しよう。

ちなみにイスタンブールの空港は”アタチュルク空港”という。

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