カテゴリー「趣味」の13件の記事

ゴルフにはまる

前回もちょっと触れましたが、10月・11月とゴルフスクールに通いました。

ゴルフを始めたのは20代後半だったので、ゴルフ歴だけで言えば12,3年。 

ところが、ゴルフ友達がほとんどおらず、ゴルフスコアも悪かったので自分からは誘えず、もっぱら両親とプレイするのみでした。 それも、年に4~6回程度。 もちろん練習にはほとんど行かず、これでは上達するはず無し!

恥ずかしながら、120~140の間を行ったり来たりのスコア。

「コースに出ちゃ、いかん!」と怒りの声が聞こえてきそう・・・・。

そんな折、ひょんなことから知り合いにゴルフに誘われました。

「家族以外となんて、このままじゃ恥ずかしくて周れない!」ということで練習のために打ちっぱなし(ゴルフ練習場)に行ったのだけど、球筋は全く安定せず。

「自己流で打ってても、きっとうまくならない。」と、打ちっぱなしでレッスンプロをつけました。”20分で1500円”とかで受けられる気軽なものです。

これがどんぴしゃ!

自分の欠点がいろいろあることに気がつかされ、言われたとおりに打つとちょっとうまくなる。 それが楽しくて、毎週末、打ちっぱなしに行ってはレッスンプロに指導をお願いしていました。

そのうち、その打ちっぱなしでは平日に、二ヶ月ワンクールのスクールをやっていることを知り、「よし!腰をすえてゴルフをやろう」と一念発起。 まさに一から学びなおしました。

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結果、11月下旬のゴルフでは、レディース・ティーから110が出ました!

実はこれは過去のベストスコア・タイなのですが何年ぶりの快挙。 しかも、一緒に周ったシングルプレーヤーの方に、ドライバーやアプローチ・ショットの時に「上手い!」とほめられたのです。

レッスンプロいわく「アプローチショットとパターで、ゴルフの6割を占める」

だからアプローチを中心に練習することを教わりました。 そして、それが打つときの自信に。

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1月には、ゴルフ・コンペなる物に誘われ、人生初のゴルフコンペ参加。

結果は、レギュラーティーから113!

ちなみに、私は女性ですが身長は男性の平均身長並み(171cm)ありますし、毎週やっている筋トレ「ボディメイク(←クリックしてみて)」のおかげで、ドライバーが結構飛びます。 一緒に周った方々から「レギュラーティーからで、全く問題がないよ」とお墨付きをいただきました(^^)

しかも(前回のブログのとおり)、激務と激遊(?)の中で二ヶ月近くほとんどクラブを握らなかったのにも関わらず、このスコア。 

「だったら、もっと練習すれば、もっと上手くなるんじゃないかな」と欲が出てきました。

これからは一週間、せめて二週間に一度は練習に行こうと思ってます。

やっぱり、練習に勝る上達方法はありません! そして、できればプロに習うのが大事だと私は考えます。 もちろん自己流でもうまくなる人はいますけどね!(上記のシングルプレーヤーの方は、人には習わず自分で研究したそう)

次回、同コンペが4月にあるので、その時は110を切ることを目標に、

最終的には年内に100を切ることが目標です。

レッスンプロからも「大丈夫ですよ。十分いけます!」と励ましの言葉をいただいたので、がんばります!

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芝居の原点 6

劇団ひまわり、受かった!!

S社、受かった!

まあ、これはそれほどすごいことではないかもしれない。 実際のところ、何人が受け、何人が受かるのだろう。。。宝塚じゃあるまいし、それほど倍率は高くないと思われる。 

結局、受かれば週に1、2回のレッスンを受け、そのための月謝を払っていかなくてはならないのだから。つまり、会社側からすれば、才能がない人だとしても生徒を多く取れば、月謝が入るのだ。 

月謝を払わなくていいような人は、よっぽど才能を見込まれているか、スカウトされてきた人だろう。

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劇団ひまわり、蹴ってしまった。

レッスンが週に二回で平日、会社が終わってからだったし、入会金も月謝も高かった。 S社は毎週日曜日だけで、月謝も安い。

だが、S社を選んだ時点で、私はダメダメだったのだ。

たとえ月謝が高くても、仕事の後に週ニでレッスンに行かなきゃ行けなくても、名もないS社より、有名な劇団ひまわりを選ぶべきだったのだ。 有名な方がいいに決まっている。 仕事もそれなりに回ってくるだろう。

果たして、私の短いお芝居人生が始まった。

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芝居の原点 5

中学での演劇部のあと、私はぱったり演劇をやめてしまった。

3年間の演劇部生活で、自分の才能の限界を感じていたのかもしれない。

そうだ!思い出した。 一度、スポーツクラブのマネージャーをやってみたかったのだ。

果たして、私は剣道部のマネージャーとなった。

と、こんな話は今回のテーマを関係ないので割愛しよう。いつか、私の愛すべき、剣道部のことを書くかもしれないが、その日まで。アデュー。

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なぜ、再び、芝居をやろうと思ったのか・・・・。

これには純粋な動機も不純な動機もあった。

私は25歳で結婚を決め、26歳の始めに結婚した。 この話もいつか書くかもしれないが、ここでは割愛。

で、私は1年も経たないうちに、結婚生活に飽き飽きしてしまった。というか、旦那のことをどうにもこうにも好きになれなくなったのだ。

そして、仕事も毎日残業から帰って、家事。 愛する夫のための食事ならいざ知らず「何ゆえ、私はあの人のために食事を作るのか・・・」 「私は一生、この人の帰りを家で待つことになるのか・・・・」 という思いにとらわれていった。 

だんだんと、会社のみんなとカラオケや飲みに行くか、パチンコに行くことぐらいしか、楽しみがなくなってきていた。 他に趣味というものがない。やばい。何か趣味を見つけなくては。 楽しいと思えることを見つけなくては・・・。

そうだ、お芝居をもう一回してみよう! 

いまさら遅いのはわかっているし、才能がないのもわかっている。でも、やらないで後悔するより、挑戦して「やっぱり駄目だったー」という方が将来、後悔はしないだろう。

ということで、早速、有名な”劇団ひまわり”と 新聞のテレビ欄の片隅に載っていたS社に応募をしたのだった・・・・。

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芝居の原点4

中学校で演劇部に所属したことは『芝居の原点3』で書いた。 ひとつ下の妹が、なぜか知らんが翌年、演劇部に入ってきた。想像するに、姉のまねをしたい年頃なのである。

事件は私の3年生のときの文化祭の前に起こった。

今ではその芝居のタイトルを思い出せないが、ひとつの部屋に、スケバン3人、ミーハー娘2人、まじめな女子など、普通は互いに話もしないようなバラバラな種類の女の子たちが、なぜかひとつの部屋に閉じ込められてしまう・・・・。結末はもちろん・・・・、覚えていない(^^;)。

私は、そのスケバンの番長がやりたくてたまらなかった。

変な話だけども、不良にあこがれていたのだ。

不良、かっこいい!と思いつつも、なる度量はなかった。

ところが!

演劇の顧問の先生は、その役になんと妹を抜擢したのだった。

まあ、私は温和に見えたし、妹は先も書いたとおり、気が強い。 当たり前と言っては当たり前であった。

しかし、私は抗議した。

おそらく、私があれほどまでに自我を前面に押し出したのは、初めてだっただろう。

先生に泣いて、「あの役は私がやりたい!私は来年で卒業してしまう。どうしても私にやらせて欲しい」と・・・。

今考えれば、かなり恥ずかしいし、わがままだったなーと思うのだが、結局、そんな私を見た妹が譲ってくれ、先生も了承してくれた・・・・。

晴れて、スケバンの番長は私のものとなったのだった。

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体育館での芝居の稽古中、同学年で有名な不良の男の子が入ってきた。

私のスケバンの芝居をしばらく見ていた彼は、一言「迫力あって、かっこいーじゃん」とほめてくれた。

嬉しかった・・・・。

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芝居の原点3

芝居の原点』1と2を書いたのは3月のことで、ずいぶん前になってしまったが、久々の登場。

小学6年生になったとき、演劇部に入った。それから中学3年間も演劇部に所属。

もともと長身で、誰が見てもスポーツ万能に見えるくせに、ただ背が高いだけのウドの大木だった私は、運動系を選ばず文化系に。

ちなみに4年生は手芸部。 5年生では何を血迷ったか、ダンス部に入った。 エマニエル坊やが流行ったころで、「シティ・コネクション」の曲に合わせてダンスを創作したりした。なつかし~!! 若い諸君、エマニエル坊やを知らないだろう!はっはっは。

おそらくこのとき、自分のダンスセンスのなさを痛感したのだろう。。いまだにダンス・コンプレックスである。

今でも、とってもかっこよく踊っている人を見ると、それだけで尊敬してしまう。 テレビでゴリエのダンスを観て、異様に気持ちが盛り上がり、DVDまで2枚も購入してしまった・・・。何度観ても、全く振りが覚えられないのだが・・・。

おっといけない、話がそれた。

中学で演劇部に入り、1つ年下の妹までが私の後を追って演劇部に入ってきた!

このときになって初めて知ったのだが、なんと私の父は大学生のころ演劇部に入っていたそうである・・・!!父は「血は争えないなー」などと、ひとり喜んでいた。

血とは恐ろしいものである。

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八代将軍 吉宗

別に、私は時代劇『暴れん坊将軍』の話をしようとしているのではない。

まじめに、八代将軍 徳川吉宗について、その人となりを語ろうというのでもない。

スロットの”ヨシムネ”について、ちょびっと。

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元パチプロで、毎週土曜日は開店から閉店までスロットに行くという彼氏を持った私は、その情報にも事欠かない。とはいっても、そんなに根掘り葉掘り聞くわけでも、レクチャーを受けるわけではないが、実は私の愛した『ヨシムネ』という台が、今月で姿を消してしまうらしい。

幸か不幸か、今年に入ってからめっきりスロットに行く時間がなくなった。 5月も6月もほとんどの週末が埋まってしまい、私の気持ちはあせるばかり。

ああ、もう一度、吉宗様に会いたい!!

てなわけで、7月1日は久々にスロットに出かけたのさ! そう! 前回のブログを読んだカンのよいあなた。 これが私のブログを途切れさせた原因です・・・。

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勝負内容はというと、たった4千円で大当たりがかかって、二連荘したのはいいものの、そこで終わり。 台を変え、だいぶ諭吉様とさよならして、一回出て終わり。

ふぅー。ま、爺も、姫も、殿(ヨシムネ)も体験できたからいいか!

知らない人にご説明申しあげると・・・・、大当たりすると、上記3種類のキャラクターの歌と映像の中からどれかを選べる、というもの。その曲とともに、711枚のコインをゲットするのだ。ちなみに等価交換の店なら、1枚のコインにつき20円だ。1回当たれば、どれだけ大きいのかがわかろう。

笑えるのは、この三曲ともカラオケボックスで歌える。 それから姫の『そこにあるかも知れない・・』という曲は、女性ボーカルトランスを集めたCDにも入っている!TVCMでこの歌が流れたときは、たまげたよ。姫の歌なんか、めちゃくちゃ浜崎あゆみっぽいし。

今度の三連休にも、『さよなら、吉宗様いべんと』をやる。 え?店がやるんじゃないよ。私の中だけでやるんだよ。

最後に、余談だが、私が行かなくなったここ3ヶ月の間に、風営法もちょっと変更されていた。 以前は11時まで打つことができたのに、今は11時には店を閉じる。・・・つまり、10分~20分前に打つのをやめさせられてしまうのだ。この終了時間は、店に寄るらしい。ほぇ~。

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芝居の原点 2

先日、芸能人占いで「あなたの芸能人適正度は40%です」と低い結果に終わったので、やっぱり向いてなかったのねと思わないでもないが、一時、女優になりないなーと思っていたことがある。

そんな自分を掘りおこしてみるべく始まったこの連載。(というほどすごいものではない。)

前回は、保育園での思い出を話したので、今日は小学校での思い出を話そう。

他の小学校はどうなのかわからないが、私の通った小学校では『学芸会』というものが、二年に一度行われていた。いや、毎年行われていたのかもしれないが、とりあえず、私は2年、4年、6年生の時に学年での出し物をやった。芝居だの、オーケストラ(?)だのである。

すでに、2年、4年のときの記憶はあまりないが、6年のときの学芸会は今でも忘れない。

斎藤隆介の『花咲き山』をミュージカルに仕立てたものをやったのだ。

(斉藤隆介の作品は、他に『ベロだしチョンマ』や『八郎』『半日村』などの作品がある)

教科書に載っていたところも多かっただろう。江戸時代の貧乏な農家の話である。話はたしか、年に一度のお祭りの時、両親が新しい着物を仕立ててくれるという。ところが貧乏なために、一着しか仕立てるお金がない。幼い妹が「私も赤いきれいな着物が欲しい!」と駄々をこねたため、姉はそんな妹にその権利を譲る。という感動ストーリーだ。

私の担任の先生が、脚本・演出を手がけた。バック・オーケストラの指揮もやった。

そして、役をゲットするのにオーディションをやったのだ!主役も、他のキャストも、オーケストラもすべてである。

私はどうしても主役がやりたくて、オーディションを受け、見事合格!

(まあ、元来が目立ちたがり屋なのね。)

二回上演なので、すべてがダブルキャスト。もう一人の主役の子はその後、大学で声楽課に進むほどの美声の持ち主だった。

私は歌うことは大好きだが、自慢できるほど歌はうまくない。でも、芝居は出来たと思う。

それでも、先生が担任だったことと(つまり”えこひいき”やー)、目立つことが嫌いな小学生の中、それほど主役希望者がいなかったのかもしれない。私を選んでくれた。

エンディングテーマ『翼を下さい』(←先生の選曲)を再び聞くのも嫌になるほど練習した。エンディングでは、一人で1番を歌いきらなくてはいけないからだ。二番は、他の出演者がみんなで歌った。

「おらだって、おらだって・・・、本当は着物がほしい。だども・・・・」というセリフを今だって覚えている。

これこそ、私の芝居の原点であった。

大勢の人の前に立って、演技をする快感。

学芸会は大成功に終わって、私は、芝居をする楽しさを改めてしった。

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芝居の原点 1

私は今、女優でもなんでもないのだから、私の芝居の原点を聞いたところで、なぁんにも面白くないかもしれない。けど、ブログで一個人の人生を明らかにしてもいいではないか。

てなわけで、これから何回かに分けて、思い出しながら書いていこう(かな)。

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たいていの人は、保育園(もしくは幼稚園)の発表会で”お芝居”を体験するだろう。

残念ながら、私のここでの記憶は、”なかじまくん”という男の子がお姫様役をやったことは覚えているんだが、自分がなんの役だったか、皆目思い出せない。

・・・なーんだ。

しかし!! ここで重要なのは、私がなぜお姫様役を男の子がやったことを覚えていたかがポイントだ。きっと、羨ましかったのだろう。出来れば自分もやりたかったに違いない。

to be continued

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ギャンブルと私

前回の『初打ち』『パチンコと私』という記事に対して、想定外の反応のよさに、とてもびっくりいたしました。ギャンブル内容なので心配しておりましたが、コメントをくれた方々、本当に、ありがとうございました。

私は基本はパチスロ&パチンコしかやりませんが、機会があれば他のギャンブルに手を出すこともあります。

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私の家系は、誰もギャンブルはやりません。

妹は、「ギャンブルに百円たりとも投資するなんてバカらしい(お金がもったいない)」といいますし、父や母も軽蔑の念をもって、パチンコをみています。親戚縁者で、パチンコや競馬、競輪を趣味にしているというのも聞いたことがありません。

なぜ、独りギャンブル好きの娘が生まれてしまったのでしょう。

実は一度、結婚していた時分に”パチンコをやる主婦”としてテレビ番組に出させていただいたことがあり、テレビをみた近所の人に「あれ、香ちゃんよね!」といわれた母は、随分恥ずかしい思いをしたそうです。

その数年後、一度、親の前でうっかり口を滑らして「この前、パチンコで○○円勝った」といってしまったら、「パチンコなんてっ、まだやってるの!?」とすごい形相で、ひどい物言いをされてしまい、家ではギャンブルの話はご法度ということを改めて悟ったのでした。

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競艇は、大学の頃に一度だけサークルの友人と足を運びました。競艇をやったことがある男の子に、私と友達がついていったのであります。競艇場にいる方々には鬼気迫るものがあり、とても怖かった・・・。本当に、この人たちの生活はギャンブル(競艇)にかかっているんだと

さすがにあの頃から”女性を呼び込もう”運動をしていた競馬場と違って、競艇場は本当に耳に赤鉛筆&左手には競艇新聞”系のおっさんばかり。女性は数人見かけましたがいかにも”あばずれ”系ばかりで、華の女子大生二人はかなり浮いておりました。

競馬は、サークルの男性陣がはまっておりましたので、その影響で府中競馬場や大井競馬場へ一緒に連れて行ってもらったり、新宿にある『西武』という喫茶店(競馬を写す大きなスクリーンがある)へ連れて行ってもらったり、ウインズ(馬券販売所)で馬券を購入したり、『有馬記念』を観戦しにわざわざ船橋法典(中山競馬場があり、とても私の家から遠い)まで足を運んだことがありました。オグリキャップが見事優勝した年でした。

その他、元カレが競馬をやっている人であったときは、『トゥインクルレース』を観戦にいったり、ウインズへ喜んで一緒にいっておりましたが、さすがに独りでは馬券を購入したりいたしません。

ちなみに、私の現在の彼は、パチプロとして四年間生計を立てていた人です。今はサラリーマンをやっておりますが、今も欠かさず週一回はまさしく”開店(10:00)から閉店(23:00)まで”13時間、打ち続けています。(一緒には行きません。)

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パチンコと私

先日、ダーティーな私の一面をみんなに披露したので、”私とギャンブル”について、ちょっと迫ろうと思う。

=小学生=

小学生の頃、商店街の手芸洋品店の前に、なぜかパチンコ台があった。もちろん、タマは出てこず、代わりに当たるとガムが出た。 30年近く前の事であるから、懐かしのハンドル形式だ。パチンコをやる大人は、これで親指に”タコ”が出来たらしい。

なんと、このパチンコ台に幼いながら、憧憬の念を抱いていたのを覚えている。

そして、初めてお小遣いを握り締めてパチンコ台に向かった日、通常はガム”一枚”が出てくるところを、私は大当たりを出しガム”一パック”をゲットしたのだった!!

ああ、神様・・・・。あなたは、私にビギナーズラックをお与えになりました・・・・。

=中学生=

『トップ・テン』という歌番組・・・・若い人は知らんだろうねぇ・・・・で、マッチが18歳になったとき、番組側が「今日から、パチンコが打てます!」と、パチンコ台を用意していた。

彼のパチンコを打つ姿を見ながら(注:マッチのファンでもなんでもありません)、「私も18歳になったら、きっとパチンコをやるんだ!」と心に決めていた・・・・。

=18歳=

花も恥らう乙女の頃・・・。パチンコなんて、とてもとても。タバコさえ「私は一生吸わないのだ!!」と心に誓っていた頃である。私にもウブな時代があった。もちろん男も知らん。

=20歳=

サークルの飲み会後、同期の男の子達はよくパチンコへ行っていた。

「いいなぁ・・・」

あるとき、勇気を出して『誰かを探すフリをして』パチンコ屋へ、初めて足を踏み入れる。ちゃらちゃらりーん(← 効果音)

”恥ずかしさ”と”嬉しさ”がない交ぜになった、複雑な心境。

「ああ、ここが憧れのパチンコ屋かぁ・・・」 

「せっかく入ったのだから!!」と、”パン台”と呼ばれる一般台に座って打つ。

なんと、500円が3500円に!! そばにいた、サークルの男の子も褒めてくれた(*^^*)

ああ、神様・・・・。あなたは、私に”再び”ビギナーズラックをお与えになりました・・・・。

=パチンコ時代=

最初、3500円を勝ったことであんなに喜んでいたのに!!

あの頃、8000円を負けただけで、あんなに後悔していたのに!!

独りでパチンコ屋さんに足を踏み入れることが、あんなに恥ずかしかったのに!!

働き始めると、貨幣価値がどんどん下がっていく・・・・・最大投資金額は・・・ピー (後は恐ろしくていえません)

独りで平気でパチンコ屋に入れるようになり、多いときで週四回は通っていた(時代もあった)。

=スロット時代=

「パチンコが面白いと思ってても、スロットを一度打ち始めると、パチンコがつまらなくなるよ」

その数々の友人の言葉通り、こわごわスロットに手を染めてみると・・・・あーら不思議。パチンコの魅力がしゅるしゅる小さくなっていった。

たしか、”大花火(ドンチャン)”が流行ってた頃だ。4th リールが回るのがドキドキでねぇ・・・・。目押しが出来なくて、よく損をしていたよー。あははー。

現在は、先日も書いたとおり、吉宗君に夢中である。 

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