忘れないと誓ったぼくがいた
平山瑞穂さん。 まだあまり知名度が高くないが、私の好きな作家である。 本屋でもたまに”女流作家コーナー”に置かれてしまうが、男性である。
私の感性の琴線に触れるものがある。 時折見せるブラックなところも好きだ。
出会ったのは、このブログのプロバイダーであるココログのネット小説であった。 なにげに読みに行ったその作品に、思わず引き込まれた。 いちいち「ああ、その感覚わかる!」と嬉しくなって、コメント欄に書き込みをしたくなること満載。 実際、多くの人が感想を書き込んでいた。 そして載せるコメント欄にいつも丁寧に返事をくれ、そんなやり取りも私がはまったひとつであった。 作家という存在をちょっとだけ身近に感じられるのだ。
『シュガーな俺』というこの作品は、既にハードカバーでも売られているが、ネット小説に興味のある方はタイトルをクリック!
この作品は作家本人の”糖尿病”体験によるものである。 糖尿病という病気を持つ人が身近にいたら、是非読んでみるといいだろう。 「糖尿病の本は、医者側から書いたものが多い中、患者側からの貴重な体験談である」からだ(受け売り)。
ちなみに私は、自分自身も親戚や友人にも、今のところ糖尿病患者はいない。 でも十分楽しめると思うし、意外に身近な病気なので知っておいて損はないと思う。 この飽食の時代、将来ならないという保証なんてないし。
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ところで、そんな彼の作品の中で私が一押しするものをここで紹介したい。
『忘れないと誓ったぼくがいた』(新潮社からハードカバーと文庫本)
タイトルからもわかるように、これは恋愛小説であるが、ただの恋愛小説ではない。
高校時代の甘酸っぱい経験なら、みんな誰しも経験したり憧れたりしただろう。そんな青春時代の切なさというものを再び呼び起こされる。
そして、一番のテーマは人間の”記憶”である。
記憶というものは、とてもあやふやで、はかない。 同じ出来事でも、人によって捉え方が違ってて、数年後に仲間でそのときの出来事を思い出すと人によって覚えている部分が違っていたり、かたやまるっきり忘れていたり・・・そんな経験はないだろうか?
また、自分の中での記憶というものも、実はかなり加工され改ざんされている。
私は今では五年日記というものを四年間つけ続けているが、昔は恋をするとつけていた時期があった。 恋をすると、その思いがあふれてきて文字に残したくなったからだ。 それを数年後になって読んでみると、「こんな風に感じたり、捉えていたりしたんだ!」と自分に起こったことにもかかわらずびっくりするようなことを考えていたり、起こっていたことを忘れていたり。
そんな”記憶”というもののはかなさを違う方向から描いているのがこの小説だ。
7月に文庫本にもなり、かの有名な脳学者、茂木健一郎さんが解説を書いているのだが、これがまたいい。
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