横入り こぼれ話
またまた前回の続き。
ひとつ悲しい(悔しい?)出来事を思い出した。
京王・井の頭線の明大前のホームは一部、ひどく狭い。 黄色い線の内側には一人、もしくは二人が縦に並んだらいっぱいだ。 ただ、列を作る人はおらず、誰もがたいてい壁際に立って電車を待っている。
その日は電車が遅れていたらしく、人がわんさかホームに立っていた。 いつもその場所で電車を待っている私は壁際にびっしり立っている人の前に、居場所がなくて”しかたなく”立って電車を待っていた。 ただ、言い訳をすれば、電車が来ても真っ先に乗り込むつもりは毛頭なかった。
ところが電車が来ると、私の前に真後ろから勢いよくおばさんが飛び出し「横入りして!」と怒りながら電車にさっさと乗り込んだのだった。 常々、横入りという行為はしたくない、と思っているのにそう思われてしまったことに、すごく悲しい思いをし、同時にすごく不快な気分になった。 ただ、誤解を招くようなことをしてしまったのも事実だ。 今度から気をつけることにした。
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大人になると、だんだんずうずうしくなる。 「そうなりたくない」と思っていた私も、ことあるごとに”昔よりずうずうしくなっている”自分に気がつく。 前々回書いたが”40歳を過ぎるとその人の性格が顔に出てくる”とよく言われる。 自分もそういう年に片足を踏み入れ始めているが、私は意地悪な顔をしていないだろうか、ずうずうしい顔をしていないだろうか、とふと怖くなる。
話がちょっとずれたので電車の話に戻すが、会社からの帰宅時に始発駅で乗り込むとき、座れるか座れないかぎりぎりの位置に並んでいるときがある。 私は結構体力があるので、「座らなくても大丈夫」のときも多いが、それでも『疲れているから座りたい』時がある。
絶対に座れる次の電車を待つこともあるが、残念ながら私の降りる駅は待っている間に半分くらい電車が進んでしまうぐらいの距離なのである。
電車の扉が開いた途端、走っていって席を取る大人気ないおじさん・おばさんもいるが、みっともないのでああいうことはしたくないとは思っている・・・とはいえ、若干”座りたい”気持ちが先走って早足になっている自分もいることも否めない。 やっぱり、座らないでもいいという余裕と体力を身につけるしかないか。(もう、世間からしたら十分”おばさん”だし)
それから、満員電車を降りるとき、私はほぼ最後に降りるようにしている。
なぜなら、後ろからゲンコツでぐりぐり押す”ぐりぐりおじさん”や、手のひらや腕で”ぐいぐい”押す”ぐいぐいおばさん”に会うのが嫌なのだ。 あれは不快だ。 そんなに押さなくても降りるよ~!!と叫びたくなる。 (余談だが、自分の父親が、そういう一味だったと知ったときはショックだった。)
また別の理由に、それは”横入り”ともちょっと違うけれど、”われ先に”という精神であることに気後れしているということもある。
またまた別の理由に、先に満員電車を下りようとすれば人を掻き分けなくてはならないが、人の後からついていけば、出来ている人と人のすきまを進めばいいだけなので自分が楽というのもある。 ただ、その見極めを誤ると、たまに降りるタイミングを失いそうになる。 譲り合いの精神は大事だけれど、東京のど真ん中の満員電車で譲り合っていたら取り残されてしまうことも、また事実である。
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