首里城
首里城は国際通りにあるホテルから車で20分くらいで行けるほど近い。
首里城は、2000年12月に『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として、沖縄の他の城跡などとともに、世界遺産にも登録された。
沖縄本島に散らばる9箇所の遺跡がひとつの世界遺産として認定されたのだ。 ”グスク”とは琉球語で”城”という意味で、他のグスク跡は建物が既になく石の土台だけしか残っていない。 建物があるということで、見ごたえがあるのはやはり首里城だろう。
1933年には国宝にも指定されていたのだ。
その首里城は、実は13世紀ごろに建造されてから、4回も焼失している。 その都度、そっくり同じものを作り直したわけではないらしい。 つまり、再建時の国王の趣味が反映されるわけだ。
ところが最後の焼失は、第二次世界大戦中の沖縄戦(1945年)。 1933年に国宝に指定されていたわけだから、国宝を失ってしまったことになる。 4回目の再建はその当時のもの、つまり第四代目の首里城を復元することになった。
1,2ヶ月前のNHKの『アーカイブス』という番組で見たが、復元するのに一番苦労だったのは”色”だったそうである。 屋根や柱の赤の色。 建物のモノクロ写真はあってもカラー写真が残っていないために、復元された赤は実際の琉球王国の赤と同じであったかどうかはわからない。
今回、首里城の中や外に、解説員なのか警備員なのか、琉球王国の装束を着た人が何人もいた。 玉座の間にいるときに、その中の一人が私に話しかけてきた。
「あなたはこの赤という色が好きですか?」と。
彼は復元された首里城の”赤”はあの当時の赤だとは思っていないらしい。 復元には、多くの本土の人間が携わったのだ。
首里城の”赤”は、人間の体の中を流れる”血”の色なんです。鮮やかな赤の色。でも、”日本人(つまり本土の人々)”は、黄色が少し混ざった”朱色”が好きなのです。
彼は確か、そのようなことを私に言ったと思う。
確かに、外観は鮮やかな赤ではなく、”朱”の赤である。
正面の建物の中には、王様の座る玉座が飾られている。その部屋には龍の絵が描かれた柱が何本かあり、色は見事な赤であった。彼は、この”赤”こそが本当の首里城の赤だったといいたいのだ。
残念ながらこの日は帰る日で、飛行機の時間も気になったし、私の彼氏も長々と人の話を聞くタイプではなかったので、大変興味深くはあったがこの人の話をもっとゆっくり聞いていることはできなかった。
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首里城の中の展示物も”復元”というものが多く、歴代の琉球国国王の肖像画も何枚も復元されていたが、色がわからないため白黒のままである。
戦争の爪あと。
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首里城の、日本のものでも中国のものでもない、沖縄(琉球)特有の文化を象徴したような建物は、一見の価値あり。
本当の首里城の色は、どんな赤色だったのか、考えながら見るのもいいのではないだろうか。
(→首里城は、このような高台に建てられていて
とても眺めがいい。)
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